パパにはヒ・ミ・ツと、父が死んだときの話

 中学3年の夏、眠れずにたまたまつけたテレビで、やっていた海外ドラマがある。

パパにはヒ・ミ・ツ」というホームコメディドラマで、ざっくり説明すると対象年齢を上げた「フルハウス」という感じ。子供は3人で、ティーンエージャー。「フルハウス」よりブラックなジョークが多い。初めて見てから10年以上経っているが、未だに見返すぐらい大好きなドラマ。

ブリジット「あたしはバレンタインが生き甲斐なの! バレンタインって、かわいい子のための日だもん……」

 

ケリー「じゃ……かわいくない子は恋は出来ないって思ってんの?」

 

ブリジット「それは恋じゃない傷の舐めあい」

パパにはヒ・ミ・ツ - Wikipedia

 

 ただ、最近までなかなか見返せなかった話がある。それが第2シーズンの「さよならパパ」という話。

ジョン・リッターの死

このドラマで父親役を演じたジョン・リッターは同作品の撮影中に倒れスタッフにより病院へ運ばれたが、その日の夜に大動脈解離で亡くなった。リッターの死を受け、ABCは「ドラマは継続し、リッターが演じたポールの死をドラマ内に組みこむ」と発表。2003年11月4日アメリカでは1時間のエピソード(「さよならパパ(Goodbye)」)として放送された。

第2シーズン第4話『さよならパパ(前編)』は、冒頭からジョン演じるポールが登場しないまま、家族が「彼が買い物中に倒れ、死亡した」と連絡を受けるところから始まっている。

 

 この「さよならパパ」では、朝食のシーンで自宅に電話が入り、警察か消防から連絡を受けた母が動揺しながら飛び出す→場面が切り替わり、父の死を知った家族が悲しみに暮れる……という話。

 

 なんだか自分の父の死と重ねてしまって。この話を見たら父が死んだときのことを思い出して辛くなるんじゃないかと。それでつい最近まで見返せなかった。

 

 朝9時頃、まだ寝てる自分の部屋に母が来て「なんかパパが事故起こして病院に運ばれたって言うからちょっと行ってくる」と、青ざめた顔で出かけようとする。心配になり話を聞くと、警察からの連絡で、事故を起こした、病院に運ばれてるから来てほしいということだけで、それ以外何も分からない。半分パニックになっている母の様子を見て心配になり、自分も急いで着替えて一緒についていくことにした。

 家のドアを開けてびっくり。マンションの8階から外を見ても何も見えないぐらいの靄がかかっている。この靄のせいで事故を起こした / 巻き込まれたのかな?と不安になる。

 いつもは歩くのが遅い母が、居ても立っても居られないのか駅までの足取りは早く、寝起きの自分が小走りになるぐらい。そして、2月だというのにずいぶん暑くじめじめしていて、嫌な天気だなと思った。

 駅の改札を通り、ホームへの階段を降りている最中に母が足を止めて「ものすごく気分が悪い……お腹が痛い、パパになにかあったんじゃないかな」「おじいちゃんが死んだときと同じ胸騒ぎがする……」と、凍りついたような表情で訴える。運転が上手で、今まで一度も事故を起こしてこなかった父が、これぐらいの靄で交通事故を起こすわけがない。それも、人が死ぬような……。自分はそう考えていたので、完全に憔悴しきった母を励ましながらなんとか電車に乗った。

 また、出勤するため父より少し早く出ていった妹にも連絡を取り、事故を起こして病院に運ばれたらしいこと、病院はここだからもし戻れるなら戻って見に行ってほしいことを伝えた。

 病院の最寄り駅まであと1駅のところで、ここから先の線路が単線になる都合上、2分ほど停車をした。いつもは何とも思わない2分がとても長く感じ、不安になった。

 電車のドアが締まり、発車するぐらいのタイミングで自分のスマートフォンに妹から電話がかかってくる。緊急事態だから……と言い聞かせて、静かに電話を取った。

 そのときのことはよく覚えているし、父が死んだことより、この時の妹の声……悲しみに押しつぶされて心が壊れてしまったんじゃないかというぐらいの泣き叫び。言葉に出来ず、ただただ泣き声をあげるだけ。

 電話越しの妹の様子に「ああ、もしかしたら……」という最悪の考えが浮かんだ。それでも、確かめるまで分からない。半身不随とか、意識不明の重体とか。死んでないかもしれない。そう思っていた。自分は「大丈夫、大丈夫……」ぐらいしか言えなかった。母には妹のそんな様子は伝えられなかった。ただ電話を繋いだまま、最寄り駅を降りて、病院のほうに向かった。「もうすぐつくから……」と、泣いている妹をなぐさめながら。

 病院が見えるぐらいのところまで来ると、泣きながら妹がこっちに走ってきた。母に抱きつき、より強く泣き叫んだ。母はもしかしたら何か悟ってしまったかもしれなかった。でも自分はまだ生きている可能性のほうを信じていた。父に会うまでは、最悪の可能性については考えたくなかった。足取りが重くなった母の身体を支えながら、病院に入り、受付の人に「警察から連絡を受けて来た○○の家族ですが……」と伝えると、医者が座っているよくわからない部屋に案内されて、父が死んだことを言い渡された気がする。この瞬間まで、自分は父が生きていると信じていたが、だめだった。

 死後のCTだか検査をしたが、死因はよくわからないという結論だった。こういうケースだと心不全とだけ記されるらしい。父の遺体が置かれている部屋に行き、顔を見たが、死んでいるとは思えなかった。寝ているだけのように見えた。

 親戚に連絡した。職場に連絡した。彼氏に連絡した。どこへかけるのにも、できるだけ淡々と連絡した。涙は流さないように我慢した。やることがたくさんあった。母は静かに泣きながら呆然としていたような気がする。

 父は身体の何らかの異常で意識を失い、事故を起こした。ぶつけられた方が事故を起こした父の車まで来ると、父の意識が無さそうなことに気づき、119番に連絡して、ガラス窓を割って、救急車で運ばれた、ということだった。

 父は事故を起こしたので警察に行かなくてはならなかった。幸い、歩いて行ける距離だったので、3人で警察署まで歩いた。

 その途中に、母が悲しみを堪えきれなかったのか、実感が湧いてきたのか、立ち止まり、子供のように泣き出した。妹も泣き出した。自分は、父が死んだことにはまだ実感が湧かなかったが、家族がこんなに悲しみを抱えてしまい、落ち込んでいることがとても辛くて、泣いてしまった。

 警察で父の検死をしている間に色々なことを聞かれた。検死が終わると、もう一度父に会えた。病院で会ったときより痩せてしまったような気がした。遺体を警察で預かっていられる期間が決まっていたので、その日のうちに葬儀場にも連絡し、遺体を運んでもらい、葬儀のあれこれも決めた。分からないことだらけで、おまかせで選んでいるとびっくりするような金額になった。いくらか削ったがそれでもまだまだ高い。こんな金額払えない。葬儀もできないのか……と絶望的な気持ちになったが、父方の祖父母を呼んで話をし、なんとかそれは回避した。

 帰りに西友で食料品の買い物をした。家から近くて物も安いので何十年もお世話になっている。うちは日曜日に1週間分まとめて買い物をするタイプの家で、かごが2つじゃ足りなくなって3つめを持ってきたりする。それが恥ずかしくてしょうがなくて、買い物に付き合うときは「2かごまでにして」とよく言っていた。そんなにたくさん買ったにも関わらず、週の真ん中……水曜や木曜あたりになると足りなくなってきて、仕事帰りの父に「あれを買ってきてほしい」などとメールを入れた。父は、自分も何か買い足したいものがある日は西友に寄って買い物をしてくれたが、特段ない日は「メール気づかなかった」などと言い訳をし、寄らずに帰ってくることが多かった。

レジの会計中、母が急に泣き出したので「どうしたの?」と尋ねると、

「ここ毎週パパと来てた。もうここには来れないかもしれない。思い出して辛すぎて」

と言って泣くので、自分もそんな気がして泣きそうになった。

父はマイバッグに大量の食料品を詰めるのが得意だった。きれいに整理整頓しながらうまく詰め込んでいた。支払いのためレジで待っている母と、そんな風に食料品を詰めていく父の姿。そのような光景がもう見られないと思うと、とても悲しい気持ちになった。

 

ケイト「こんなことが起こるなんて。起こるとしても、お互い白髪になってからだって……フロリダあたりに移って、4時半から、夕食食べるような生活してからだって思ってた。年寄りがみんなウインカー消し忘れて走ってるようなところで、のんびりしてから……それが46なんて」

 

ケイトの母「仕方ない……それも神のご意思なのよ」

 

ケイト「その話はもう二度としないで。もう一回誰かに神のご意思だって言われたら私おかしくなっちゃう。神のご意思って何? じゃあ私の意思はどうなるの? 私達の意思はどうなるの? 死ぬまで一緒だって誓ったのに……ポールだけ先に逝っちゃうなんて。 神様子供のことは考えないの? 私のことは? どうして死んじゃうのよ……」

 

ケイトの母「ケイト、人生は理不尽なものなのよ……」

 

ケイト「ああ、そんなこと知ってる。人生が理不尽なことぐらい。でもこんなに残酷なものだとは知らなかったのよ……!」

 

 死んだその日。夫婦の寝室で、ケイト(ポールの妻)とケイトの母の会話。吹き替えだから声優さんの演技だけど、とても心にくるシーンで……。見ながらボロボロ泣いた。

 

 父が死んだその年のゴールデンウィーク、彼氏と一緒に5泊6日で、新潟~富山~石川~福井~岐阜の大旅行をした。今思えば、この大旅行は彼氏が自分のことを元気づけようと提案し、1000km近く頑張って運転してくれたんだな。

旅行前半は、アパホテルや2人で1泊9000円ぐらいの宿に泊まっていたところを、加賀温泉では贅沢なとこに泊まりたいという自分のリクエストに渋々(?)彼氏が応えてくれて、4泊目は良いところに泊まった。

 その宿での夕食時、普段はほとんど飲まない日本酒を頼んで、運ばれてくる料理を楽しんでいた。とても幸せだったし、彼氏も幸せそうに笑っていた。そんな顔を見て、自分は母のことを思い出した。毎年、父と2人で源泉かけ流しの宿へ旅行をしていた母。父の遺影も、旅行の夕食時の写真だった。毎年行っていた。でも今年からは行けない。

自分が今見ているような、幸せそうな彼氏の……愛する人の顔を、母はもう見ることができないんだ。運転疲れを温泉と、風呂上がりのビールで癒やして幸せそうにしている父の顔を、もう二度と見ることはできない母のことを思うと、涙が止まらなかった。

 

 父が死んだ日の話や、父の死を実感して悲しかった話を、書いて残しておかなきゃいけないと思いつつ、ずっと出来なかった。

大好きなドラマ「パパにはヒ・ミ・ツ」の、パパが死んだ話をようやく見返せるような状態になって、見てみたところ、やっぱりボロボロ泣いて。でもこれでいいんだと思った。悲しみに向き合って、悲しい気持ちになっても我慢しないで、その時の感情を何らかの形で供養してあげる。爆発する前に……。父が死んだ時の悲しみを、こうやって文字にすることで、供養をしました。自分がこれから生きていくために。

 

 書きたいこと全部書いてたらまとまらなくなった。父が死んだときの話はまた書きたくなったら書こうと思う。それより「パパにはヒ・ミ・ツ」面白いのでみんな見てね。