evala (See by Your Ears) インビジブル・シネマ「Sea, See, She―まだ見ぬ君へ」を観た(聴いた)

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 きりあさんのツイートで金曜夜に知り、家に帰ってスケジュールと懐事情に問題ないことを確認して即チケットを取った。楽しみすぎてこの夢まで見た。

こういうものを見つけてくるアンテナ、いつも張ってる人とそうでない自分で差が出るな。どうやって見つけたのか気になる……。

 表参道駅から出てすぐ、なんだかおしゃれな建物の中にホールがあって、入場すると椅子とスクリーンだけが並んでる。小学校の体育館で映画観る時のよう。スモーク(?)が焚かれててもやもやした会場、ライトはゆっくりとほんの少しだけ明るさを変えている。

 驚いたのが、男女の比率で言うと女性のほうが多かったこと。エレクトロニカやドローンが好きな音楽オタクが聴きに来ると思ってたから意外だった。ホールの場所の影響か?

 

 いざ開演すると本当に真っ暗。電子音と波の音、雨の音、フィールドレコーディングが、上下左右移動したりしなかったり。音が下から上に来てるのが分かり、まるで水位が上がってくようで、溺れるってこういう感じなんだろうなぁ。と、音に関心してたけど、それにも慣れてくると今度は『暗さ』が気になってくる。

目が慣れてくることが全くないから何も見えない。周りに人がいるのにその存在も感じられない。自分がどこにいるのか分からなくなる。座ってるのか立ってるのか寝てるのかも。

目を開けてるのに何も見えないのが不安になって、思わず目を閉じてしまう。そうすると音には集中できる。ついでに目と、もしかしたら精神も楽になると感じたから。目を開けてるほうが暗く、閉じてるほうが明るさを感じられる。この暗さの体験は初めてで驚いたし、新鮮だったけれど、少し怖かった……。

 

 そんな暗闇の恐怖に慣れないまま、音がゆっくり、時には唐突に変化し展開していく。最初は全く想像出来なかった映像も、なんとなく勝手に自分の中で創り出し見え始めてくる。

観てる(聴いてる)時に思い浮かんだのは、ヒト(She)が色んな場所で倒れて、その地の音を聴いている……倒れてるし誰も助けに来ないので横たわって音が流れ込んでくるのを聴くことしか出来ないというイメージ。結構ブツりと音が切れて違う場面に飛ぶから、繋がりが見出せずこういう映像になってしまった。

水の音、動物の鳴き声がよく使われていた。もしかしたら、水の一生を――水が雨になり海になり雲になり色んなところを旅してる映像だったのかな、と今は思っている。

 

 目を閉じたり開けたりしていたけど、よく見ると完全な暗闇ではなく、少し明るくなっているような気がしてきた。隣の人の気配も感じる。天井のライトがわずかに光っているように見える。自分がどこにいて何をしているのかもはっきり分かる……。目を開けていても辛くないので目を開ける。音に集中したいときだけ目を閉じればいいと思って。

 目を開けていると、スクリーンに映像が投影されているような気がした。ただ、それは目が慣れてきたからか、天井のライトが本当に僅かにスクリーンを照らしてるからかな、と思ってた。実際どうなんだろうかとスクリーンを凝視しはじめてしまう。しばらく見てると、分かりやすく明るい部分と暗い部分が動いた。そうなるともうスクリーンから目が離せなくなる。そのせいで音より映像に意識が向いてしまう。しかし、映像という映像ではなく、影の部分が動いている程度。何かを伝えるには物足りない。

 段々とラストに近づいているのが音だけで分かる!これは凄いな〜。エンディング感を音だけで演出する、その表現方法・表現力・構成力は本当に驚いた!映像も、ただの影の動きから何か形が……円柱のようなものがいくつか現れ、それが集まって、雲が流れてるような映像に変わり、そのままエンドロールに。

 

 約70分、結構あっという間だった。真っ暗だけど眠くなったりはせず、逆に集中できた。この環境は、ドローンやエレクトロニカを体験するのに最高の環境なんじゃないかと思った。その音に最後まで集中するために、映像はいらなかった。最後まで真っ暗のまま、音だけで良かった。スクリーンを用意して何も映さないっていうギャグかと思ったら最後は普通に映像を使ってきたのが結構ショック。ただ、最後まであの暗さだと精神的におかしくなる可能性も否めない(それぐらい本当に真っ暗だった)

 エレクトロニカのアルバムを、映画としてパッケージングすることで、アルバムを通しで強制的に(しかもアーティストの意図した環境で)聴かせるための手法……そう感じた。やっぱりアルバムを作る人って誰しも通しで曲順通り聴いてほしいという気持ちを持ってるものだと思うので、これはうまくやったなと思った。

なので『新しい映画の形』とは思えなかった。自分の想像力の乏しさや集中力の持たなさもあるんだけど。映像を想像するためにリソースを割くより純粋に音を楽しみたいという気持ちが強くて。面白い試みだったし新しい体験だったけど……音だけを楽しみたかったから映像もインビジブルシネマという肩書きも必要なかったなと思いました。

 

Special ThanksのWeedsって会社名なのかそのものなのか気になる。